タガの柵とは
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多賀城の
嬉しき、
楽しき、
面白きを
ここから
「多賀城」という地名は、奈良時代に東北地方の平定と安穏を願った朝廷が、「賀(めでたい事、嬉しい事、楽しい事、面白い事など)が多い地域」になる事を願って付けられたという説があります。
タガの柵ではこの地名に込められた想いを受け継ぎ、現在(いま)の多賀城で
「嬉しき出逢いをここからつくりたい」
「楽しきコトをここからつくりたい」
「面白きモノをここから発信したい」
という想いを込め「多賀城の 嬉しき、楽しき、面白き をここから」というスローガン(理念)にしました。
このスローガン(理念)のもと、タガの柵は多賀城の
「面白く、熱い気持ちを持ったヒト」
「こだわりと情熱をもってつくられたモノ」
「ロマンある歴史と現在(いま)」(コト)を発信し、
地域内外からヒトが集い、繋がる、観光交流拠点を目指しています。

屋号とロゴついて
宮城県多賀城市には日本三大史跡/国の特別史跡/日本100名城(宮城県では仙台城と多賀城のみ)である「多賀城跡」があります。この誇るべき「宝」の一つである史跡や歴史を少しでも多くの人に知って頂きたく、この屋号とロゴにしました。
~多賀城の歴史~
多賀城は、奈良時代に朝廷が東北地方統括のため、政治・軍事拠点として城柵(じょうさく)を築いたのが始まりです。全盛期の城柵の規模は約900m四方を塀で囲み、南・東・西に門を造り、その中に役所建物や倉庫、そして中央に約100m四方を塀で囲った政庁が配置されました。その城下町は平城京(奈良)や大宰府(福岡)に次ぐ東日本最大の都市として繁栄を極めました。
また、名称も「多賀柵」(「たがのさく」又は「たがのき」)から「多賀城」と変えられたとされ、城も柵も「き」と呼んでいました。いつしか「たがじょう」という現在の呼び名となり、平城京(奈良)、大宰府(福岡)と並ぶ日本三大史跡として今に遺(のこ)ります。
ロゴは、多賀城の外郭、中央におかれた政庁、政庁から城下町へと続くメインストリートの南北大路を表しております。
事業概要
タガの柵は「地域の市民が主体となり、地域の資源を活かしながら、地域の課題をビジネス的な手法で解決し、その活動で得た利益を地域に還元することにより、地域の活力や雇用を生み出す地域再生型のビジネスモデル」(風見正三・山口浩平 編著(2009年)『コミュニティビジネス入門』より)であるコミュニティビジネスを実践し、多賀城の地域活性につながる事業に取り組みます。
【屋号】 タガの柵(き)
【沿革】 2014年2月(店舗オープン:2014年8月)個人事業として設立
2019年6月 株式会社多賀城DMCによる運営スタート
【所在地】 宮城県多賀城市山王字千刈田6-3
【TEL/FAX】 022-702-3277
【事業内容】 飲食、物販、イベント企画、貸しスペース
前代表者の起業の想いはこちらのインタビューをご一読ください。